プログラマーと手塚治虫


30年前、僕が小学校に入ったばかりの頃
生まれて初めてパソコンと呼ばれるものを触りました。

当時の僕にはそれで何ができるかさっぱりわかりませんでしたが、
手塚治虫はもっと前の時代に、まさに今の世界を描いています。
その辺について少しお話しさせてください。

昔のパソコン

当時、高橋名人が「ゲームは1日1時間」と良心的な方針を立ててくれたのですが、
我が家の憲法はやや凶暴で「ゲームは1日1時間(雨の日に限る)」と
どうひいき目に見てもゲームを楽しめる環境ではありませんでした。

そんな中「ゲームみたいだけどちょっと違う」パソコン(PC-9801)が我が家にやってきました。
僕はすぐさま「パソコンはゲームではない」という言質を取り
天気に関係なく1時間を超えての使用権を得たのです。

ピコッと味わい深いマシンの起動音に、ブィ~ンと無骨なブラウン管の通電音。
やがて黒いDOS画面が立ち上がります。
でかくてぺらぺらの5インチのフロッピーディスクを
カチッと言いそうで言わない差込口に差し込みます。
指が痛くなるつまみを回してフロッピーを押さえます(これもカチっと言わない)。

コマンドを打ちこみ興奮しながらゲームの起動を待ちます。
低い解像度のドット絵で
サイコロ振ると肩書が変わるだけの美少女が脱がない大出世ゲームとか、
ヌギリスという超高速過ぎて一枚も脱がせられないテトリスなどを
少し大人になった気分でゲームを堪能します。

しかしゲーム自体つまらないし、何の欲求も満たされません。
そもそもドラクエがやりたい。

もどかしさと欲求はピークに達し自らゲームを作り始めす。
しかしBASICの本を片手に自作したゲームは、それまでのつまらないゲームよりつまらない。

作ることにも楽しさを感じない僕はやがて飽きて触らなくなりました。
今の知識をもってしてもPC-9801で何ができるのか全く想像できません。

ちなみにPC-9801の前の世代で88ですが、とりあえずこんなやつです。

手塚治虫の描く未来

凡人の僕は何ができるのかさっぱりわからないパソコンでしたが
手塚治虫は違います。
更に20年前、今から約50年も前の1960年代に
現代のような情報化社会を描いています。

例えば、

ロビタ

手塚治虫の描くキャラクターの中で一番好きなのはロビタです。

ロボットとロビタのちがいは たとえばこういう点だ。
ロボットの召使は、主人の命令にこう答える。「はい、だんなさま」
しかしロビタは、ときによってこう反発する。「しかし だんなさま」
それが、ある主人にとっては、がまんのならない反抗に聞こえ
ある主人にとっては人間くさい親しみに聞こえるのだ
「火の鳥(羽衣編)」

二足歩行を捨て間抜けだけど親しみやすいロビタは、どことなくPepper君に似ています。
お掃除ロボット「ルンバ」も愛着が沸きます。
ちゃんと帰れない様はちょっとおバカな体温のある生き物のようにも感じます。
どんくさいロビタに感じる温もりや親しみと同じなのかもしれません。

薄型の巨大モニタ

最近でも話をしていて思うのですが
ディスプレイにテレビを表示することはできないと思っている人や
テレビにパソコンをつなぐことができないと思っている人が多くいます。
最近はテレビにはCPUやOSが載っていたりするので、
パソコンとテレビを区別する必要はないのではないでしょうか。

テレビコンテンツもサービスを利用すればいくらでもネット視聴可能ですし、
Web会議も日常で使われるようになりました。
相手の顔を見ながら通話も可能です。

手塚治虫の世界では薄型モニタは
テレビにもコンピューターにも電話にもなります。
ブィ~ンというブラウン管の下手したら白黒テレビの時代に
何故今のような大画面薄型モニタでテレビも電話もパソコンもできる時代が想像できたのでしょうか。

合成音声

違和感のある機械的な合成音声は手塚治虫の世界も同じです。
文字なのでイントネーション等はわかりませんが、
ロボットはロボットっぽいしゃべり方をしています。
「人間デス」など一部がカタカナだったりするからそう感じます。

相変わらずSiriもCortanaも違和感のあるしゃべり方をします。
かなりブラシュアップされたショウ君(もやさま2のナレーション)も
良い方に出ていますが違和感は違和感です。

何故、手塚治虫は合成音声に違和感を残したのでしょうか。
ただ完璧な流暢にしゃべる人型ロボットを描くのならばわかるのに。

人工知能

火の鳥ではマザーという人工知能が登場し
結婚相手も就職先も政治的判断も代わりにやってくれます。

現在、AIによる結婚相手、部屋、就職など様々なマッチングサイトが存在します。
自分の人生の大事な決断を機械任せにしたくなる気持ちは良く分かります。
僕も決断の苦手な人間ですから。
会社を辞める辞めないでグダグダ悩んで、多くの人の時間無駄にしました。
今後、技術躍進と共に決断できない人が増えていくのでしょう。

その人間の弱さが漫画の中で描かれています。
非情に面白い描写です。

「もう戦争しかありません。」とヒステリックに言うマザーは傑作です。
少し前のマイクロソフトの人工知能(Tay)が
差別的な発言を連発したりヒトラーを賛辞したりと大暴走しました。
そういう時、僕は「火の鳥」を思い出し読み返します。

まとめ

他にも様々な未来が描かれています。
50年たった今の世の中は、どことなく手塚治虫の世界に似ています。
手塚治虫は未来の技術者に、誰も見たことの無い世界のイメージを提供してくれました。
それは共有しやすい表現力を備えているため、洗練された設計書であると感じます。

手塚漫画は技術書ですよ?
みんな読んでください。

おわり


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。