プログラマーをやめたいあなたへ

やぁ、どこかの誰かさん。ちゃんと眠れてますか?

こんなタイトルの記事を読むなんて
きっと背負っているものが多いのでしょう。
いっそ全てを投げ捨てて今とは違うどこかへ行ってしまいたい。
そんな気持ちなのかもしれませんね。知らんけど。
僕はずっとそうでした。

以前、僕は長期連休を全くとれないプログラマーでした。
いま、確実に保証されている長期連休がGW・夏休み・正月休みと・・・
おそらく会社を辞めない限り保証されています。
僕にとって全てを忘れて眠れる長期連休は何よりもありがたい。
ゴールデンウィーク終盤になるとこういう文章を書きたくなります。

プログラマーをやめたいあなたへ。
気分転換に僕の昔話でも聞いていきませんか?

「プログラマーをやめたい」あなたは、「プログラマーをやめる」あなたではないのだと思います。
いつやめるのかではなく、やめるかどうかを悩んでいるのでしょう。
僕がどのタイミングで「やめる僕」になったのかをお話します。


僕が最初にやめたいと感じたのは入社すぐに始まる新人研修の時でした。
そこから決断するまで12年。。。

新人研修はペアで行う研修でしたが、一緒にやる相手がすぐに寝てしまいます。
課題を僕一人でこなしてしまうと講師から怒られます。
なぜ一緒にやらないのか?と。

いや・・・寝ているそいつを怒れよ。
スーツがよだれでベトベトです。

同情してくれる先輩や同期もいたのですが、
一部マウンティング系の輩が「まぁ、そう熱くなるなよ」とか言ってくるわけです。
それから先、何かあるごとに上から目線で説教をたれてきます。

ホントくだらない理由ですが、
新人研修の時点で僕はすでにやめたくて仕方ありませんでした。


新人研修を終えそこから4年間。
プログラマーとして将来の見えない仕事に携わります。
とある機械を制御するプログラムです。
ただひたすらアセンブラをC言語に置き換える日々。

ある日、年下の若者がリーダーをやっていることに気付きます。
彼はお客さんから要望を聞き、一からソフトウェアを仕立てています。
一方僕は、巨大なソフトのごくごく一部をただ書き続けるだけです。
しかもお手本のアセンブラがないと何もできません。

Visual Studio のようなIDE(統合開発環境)を使って
リッチな画面を作っている若者たちが羨ましくて仕方ありませんでした。
僕も画面を作ることもできますが、なんせレガシーな言語です。
座標で一本一本線を引っ張っていく画面づくり。限界があります。

焦りからずっとやめたい気持ちはありました。
ただ、辞めなかったんですよね。

良くも悪くも仕事に安定感があったからではないか、と考えています。
仕事は激務でしたがチームは穏やかで良い人達に恵まれました。

しかし、一人で何も作れない自分に、このままで良いのかという気持ちが膨らんでいきます。

そんな僕にもチャンスが訪れます。
サブプライムローンとリーマンショック。
顧客の契約解除。チームは丸ごと解体。
ハツカネズミの回し車のような「アセンブラ → C言語案件」から解放されます。


そこからいくつか短期の仕事をこなしていきました。

法には触れませんが、守秘義務の関係で人には言えない仕事です。
簡単にいうと日本国民を守る仕事の一部です。
後は、電気自動車やCAD(2次元・3次元)・CAM・工作機械系を何社か。

リーマンショックで嫌気が差した人の尻ぬぐいが中心です。
要は辞めていく人達の後釜です。

納期間際で担当が逃げ出した仕事を押し付けられます。
納品前日に何もできていないものを渡されるとか、もう笑うしかない状況でした。

スキルも言語もバラバラ。
仕様書に書かれている「言葉」がわからないし、検索しても出てこない。
何より「言葉にされない業界や会社固有の常識」が全くわからない。

鬼が出るか蛇が出るか。初めて向かう会社のプレッシャー。
担当が変わったことを伝えないといけないメールや電話。
お客さんカンカンですし、無茶な納期で何としてでも納品しろと言ってきます。

こんな状況でも僕のせいではないんでね。気持ちはいくらか楽です。
この時僕は、最強のスキル「効率の良い謝り方」と「コワモテのおじさんに好かれる方法」を覚えます。

当然失うものもあります。健康です。
僕は耳管開放症に悩まされるようになりました。
夏場や緊張しているときなど耳がおかしくなり自分の声が頭の中で反響します。
耳をふさぎながらしゃべる感じですね。
しゃべりにくくてしょうがない。勝負の場での会話がだいぶ不便になりました。

この時も結局辞めませんでした。
もちろんかなり強めのやめたい気持ちはありました。
転職活動でいくつか面接も受けました。


気づけば僕はあるプロジェクトのリーダーになっていました。
将来僕が転職する先の会社が顧客です。

僕の仕事の多くは機械メーカーなどのメーカー向けの開発が中心で、
メーカーが外販するためのソフトウェアです。

しかし、このプロジェクトは特殊でエンドユーザーにソフトウェアを納品します。
僕はこの仕事が好きでした。

納品する相手が使うんですよね。直接感想が聞けます。
作った僕よりも上手く成果物を使ってくれます。
僕より使い方に詳しかったりします。

この顧客の仕事が僕にとって初めての大失敗になります。
引き継いだプロジェクトはなんとか終わったのですが、
多少自信がついたこともありリプレイスを提案しました。
まるっきり新規で作れる仕事を受注できたのですが、
工数は見積時の3倍に膨れ上がり納期も半年近く遅れます。

僕が電車に飛び込めば、納期伸ばせるかなぁ・・・

自分のせいで起きた失敗は耐え難い苦痛でした。
メールや電話が怖くて心拍数が上がり手は震え職場にも関わらず涙が出てきます。
僕が眠れなくなったのはこの仕事からです。

眠れないは正確ではないかもしれません。寝つきはものすごく良いのです。
ただ、朝2時とか3時に目が覚めてしまいそれから眠れません。
23時や24時に就寝し2時3時に目が覚める毎日。時間がありすぎて絶望します。
諦めて資格取得の勉強に取り組んでみたら、ITストラテジストに合格してました。

一番好きな仕事でしたが、最も体を壊しました(心や精神が壊れたことは認めません)。
好きってダメですね。逃げ道が無くなってしまいます。

やめたい気持ちもありましたが、完成させたい気持ちの方が強かったのだと思います。


リーダーになったからと言って、ずっとその仕事があるわけではありません。
体を壊しながら納品を済ませ小さな追加改修を終えたらプロジェクトも終わりです。
後は不定期でぽろぽろ仕事が入ってくる感じ。

その頃は色んなところに顔が利くようになっていたので、
仕事が全てなくなるということは無かったのですが
メーカー向けの仕事はどの仕事もつまらなかったんですよね。
エンドユーザー向けの仕事がどうも刺激的でどうしてもそれを求めてしまいます。
ヒーローシンドローム

僕に役職がつき部下として何名か与えられました。
若い時分に可能性のある仕事につかせたい。将来の可能性を広げてあげたい。
そう考え面白くない仕事は僕がこなし、広がりのありそうな仕事を中心に部下に与えるようにしました。

優秀な子たちはあっという間にリーダーになり独り立ちしていきます。
僕は彼らの成長を喜びました。
が、やはりハズレもたまに来ます。
そういうのは出ていかないのでずっと残ります。
言い訳や人のせいが多く、彼(彼女)らは権利ばかり主張します。

人数だけは立派で中身の統制が取れてない状態。
そのような状態で2度目の大失敗を迎えました。

少し大きめのプロジェクトを複数抱え
バランスの悪い負荷を優秀な部下に積み上げてしまいます。
スキル不足やミスマッチで思うように進捗せず、
一つのプロジェクトのコストが大幅に超過します。
順調だった他のプロジェクトも同時多発的に混乱していきます。

この時、僕は1度目の退職願いを出しました。
姑息ですが説得されることを期待しての退職願いです。
多少の条件を聞いてもらって元のさやに納まりました。

大赤字を垂れ流しながらも何とか納品までこぎつけます。
ホッと一息。その瞬間、何もかもがイヤになりました。

何が嫌なのかわからず体の不調や不眠を上司にを打ち明けましたが
そこに解決策がないことは明白です。
折り合わない会社と僕の利益。何かが違う。

満たされないもやもやしたものを説明できないまま、
たまたま取れたゴールデンウィークに僕は退職することを決めました。


思い返せば新人研修のころからやめたかった。
結局、結論を出したのは12年後。

無責任とか卑怯とかお客さんに申し訳ないとか、
保身のために12年も自分に言い訳してきました。

僕がやめた後、前の会社は連続で好業績なようです。
僕がやめたことによる影響はさざ波ほどもなかったのでしょう。
むしろ案件が整理されて業績良化につながったかもしれません。

自分がいないとダメなんじゃないか?
やめてしまうのは無責任なのではないか?
自責の念は、ただの自惚れであったと理解しています。

お陰様でよく眠れるようになりました。
悩むべきは「やめるかどうか」や「やめたい理由探し」ではなく「いつやめるか」と「何を携えて次の職業に飛び込むか」だと考えます。
また、プログラマーをやめたいのか、会社をやめたいのか、今の仕事をやめたいのか。
事情はひとそれぞれでしょうけどね。

やめたい理由はこの辺をご参照ください。

プログラマーをやめたいあなたへ

おわり

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