業種も規模も違う会社に転職して、
色々考えさせられることがあります。
先日、退職された方の送別会があり
詳細は知りませんが「ややこしい最後」だったようです。
印象的だったのは
「自分は評価されたいわけでない」
という言葉。
僕も同じく本心から
「評価されたいわけではない。
ほめて欲しいわけでもないし、給料を上げて欲しいわけでもない。」
と思っていました。
「褒めてください。認めて下さい。そしたら頑張ります。」
とか言えば、可愛い気もあるというのに。
過去の記事を読み返して
過去の記事
・退職願いを書きました
・「やりたい事はいっぱいあった。でも何もできなかった。」- 退職願いを書きました
・「そんなに嫌なら辞めればいい」-退職願いを書きました
面倒くさい人間ですね。
僕は上司にも部下にも同期にも会社にも
仕事内容にもお客さんにも全て不満がありました。
能書きをだらだら並べていますが
・上司が優柔不断ではっきりしない。
・部下の自分勝手さにイライラする。
・B型がウザい
という回りくどいものばかり。
何とか辞める理由を美しくしたい薄っぺらい人間性が見え隠れします。
「ざわざわ」だの「ワクワク」だの擬音でぼかした書き方も微妙ですね。
「挑戦」だの「安定」だの抽象的な表現もお恥ずかしい限りです。
要は「僕には決められないから、誰か決めてくれ」と言っているようです。
上司が決めてくれる人であればきっと楽だったのでしょう。
失敗したら「上司がやれ(やるな)と言ったから」と言えて
成功したら「自分が提案した」と自慢できるのですから。
では、上司が決めてくれたら僕は辞めなかったのでしょうか。
違います。
それだけでは足りません。
「評価されたいわけではない」が「評価して欲しい」
先日の送別会の方も
別にお金に困っている人ではなさそうです。
むしろ親が金持ちなのでお金より働くこと自体が好きなのでしょう。
僕は、当時の給料には満足していたので
「給料を増やしてほしいわけはない」は本当です。
しかし会社が社員を評価する方法は、給料であることを僕たちは知っています。
「評価して欲しい」→「お金が欲しい」→「卑しい」
それが
「評価されたいわけではない」
という発想に繋がっていたのだと思います。
士は己を知る者の為に死す
「君はXXX(能力)が素晴らしい。会社にとって本当に必要な人材だ。」
と、言ってほしかったのです。
評価して欲しかった。
子供っぽいですが、今思うとそれが事実です。
まとめ
褒めること自体が日本ではリスクになります。
「これ(モノ)は素晴らしい」とか
「この人は優秀だ」と言葉にしてしまった場合
褒めた対象が問題を起こすと、たちまち「褒めた人のせい」になります。
良いとも悪いとも言わない奥ゆかしい日本は
僕のような人間にはいささか居心地の悪いようです。
会社が変わって、
付き合う人が変わって
日本人より外国人と話すことの方が多くなって
色んな文化に触れ、
感情を露わにして怒り、
大げさに褒められ、
今はとても充実しています。
「評価して欲しかった」が、僕の辞めた理由です。
いや、褒めて欲しい?認めて欲しい?知って欲しい?
どれもクドいし、しっくりこないですね。
まぁ、日本語は何かと不便です。
おわり
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