アップロードとデジタルの死 – テセウスの船のパラドクス

はやくアップロードが実現されないかな。
最近のワイフのブームです。

AMAZONでアップロード ~デジタルなあの世へようこそを見て影響を受けています。

簡単に言えば死ぬ間際に意識を取り出してデジタル空間で主人公が生き続けるというものです。

少し前にドラマや漫画ではやりましたが「テセウスの船」のパラドクスとコストが気になります。

テセウスの船(テセウスのふね、英: Ship of Theseus)はパラドックスの一つであり、
テセウスのパラドックスとも呼ばれる。
ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、
過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。

Wikipedia – テセウスの船 より引用


例えば事故などにより両腕・両足を失ったとします。
両腕・両足を義手・義足に変えたとしてもその人は変わらずその人だと思います。
どこまで交換すればその人でなくなるのでしょうか?

おおかたの意見は脳と答えると思います。
しかし、アップロードの理論は脳を含む肉体ではなく意識だとしています。
もし意識が腕にあったら?自分だと主張するその人はその人っぽくしゃべる別人かもしれません。

テセウスの船にも何等かの意識がありそれが失われない限りテセウスの船であるということでしょうか。
おそらく、周囲の認識がそれにあたると思います。
誰もそれをテセウスの船と考えなくなったときそれはテセウスの船ではなくなる、みたいな?
と、そんな中二的な話をしたいわけではありません。

本当に僕が気になるのはコストです。
おそらく意識をデジタルに変換しサーバー等の物理媒体に保管することが可能になれば理論上死が無くなります。
しかし、現実問題としてコストは発生します。
僕はサーバー維持の大変さを知っています。


サーバー自体は老朽化しますし電気代や人件費などの維持費が必要になります。
直系のご子息やご子孫がきっと維持費を払うのでしょう。
ですので、死ぬのは寿命が尽きた時ではなくお金が尽きた時になります。
まぁ、サービス終了やウィルス等によるデータ破損も含むかもしれませんが。

人は二度死ぬ

一度目は、肉体的な死。 そして、二度目は忘却による死。 
すべての人が、その人の存在を忘れてしまった時に、本当に人は死ぬ。

誰が最初に言ったのでしょうか。
僕はdele – Wikipeidaというドラマを見て知った言葉です。
忘却による二度目の死の方がまだマシです。お金が尽きた時の死。

うん、いいよ。君の生活も大変だろうしね。
わかった、僕の意識を削除してくれ。

という感じの最期。絶対にイヤです。

なんかウチのご先祖たちウザいんだよね。
クチは達者だけど何もしてくれないしお金はかかるし。
最近契約料も値上がりしたし、UPLOAD仕舞いしようかな。

こんな感じの最期もイヤ。
僕はUPLOADされたくない。


デジタルの死。若者の間で流行るUPLOAD仕舞い。
~本人っぽくしゃべるだけのデータにお金は払えない~

こんな感じの記事が出るんでしょうかね。

そういえば、日本も何か変なことやってますね。

1.2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現 

ムーンショット目標 – 内閣府のページより抜粋

アップロードとデジタルの死 – テセウスの船のパラドクス

おわり

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