自分の見ている自分と他人が見ている自分に乖離があるほど人は不満を感じると、
とあるコンサルタントがおっしゃっていました。
その後、そのコンサルはこう続けました。
君は若い頃の私によく似ている、と。
きっと殺し文句なのでしょうね。
成功している人からこのセリフを言われると嫌な気がしません。
一方で下に見ている人からこのセリフを言われると、
何を言ってるんだか
になります。
僕は同じセリフを複数名から頂いています。
今日は共感について語ってみます。
共感という感情
「共感したい」「共感させたい」
自分が主体かどうかで矢印の方向が変わります。
共感したい
共感したいは、
- 本や漫画を読む
- ネットの記事を読む
- 動画を見る
- 人の話を聞く
などが挙げられます。
共感できるものは続けて読んだり見たりしたくなります。
共感できる相手とは長く付き合い続けたりします。
食べ物の好み、漫画の好み、趣味が合う人はそうそういません。
全て100%合う人はまずいないでしょう。
「結構好みが合う」と感じる人と出会う事ができれば幸運です。
共感させたい
共感させたいと考えている人は中々いないと思います。
しかし
- 自分を分かってほしい
- 自分の言う事を理解してほしい
と考える人は多いハズです。
教えることが好きな人はこの感情が強いのかもしれませんね。
男性と女性は網膜のDNA配列が異なるため
実は同じ色を見ても違う色に見えているという説があります。
確か「結婚星」という漫画だったと思います。
出典が漫画という不安になる情報。
そもそも色盲の人は違う色に見えてますし、
別に性別で分けて説明する必要がないかもしれません。
つまり、色一つとっても同じものを見ていない可能性があります。
赤と言って相手は緑を見ているのかもしれませんしそれを共有することはできません。
逆転クオリア。
共感させたいという感情を満たすものは、
共感しているという相手のアクションのみなのです。
フリだということに気付いてしまうと興ざめです。
最近僕はTwitterにハマっていますが、
「いいね」ボタンが「よかったね」ボタンだったら・・・。
世界から争いが無くなることはありません。
自分を大きく見せたいという感情
承認欲求などと言ったりしますが、
自分を理解してほしいと感じながら
自分を大きく見せたいと考える人もいます。
これは男性にありがちな感情です。
男性のウソは自分を大きく見せるようにつき
女性のウソは自分を小さく見せるようにつく傾向にあります。
男性のウソは見破りやすく女性の嘘は見破ることが難しいなんて言われます。
おじさんが忌み嫌われるのもこの自分を大きく見せたい感情を押し付けるからでしょう。
- 会議などで自分の知識を長々と話す
- 若者を言い負かそうとする
- 自分は昔ワルだった
- 私の知り合いにすごい人がいる
歳をとるにつれ同い年という存在はいなくなります。
生まれた年がもっとも同い年が多く時間が経過するにつれ徐々に減っていきます。
学生時代は周りが全て同い年です。
しかし社会に出ると同期という存在はごく一部でそのわずかな同期ですら毎年減っていきます。
自分と同じ漫画や学生時代流行った音楽などで話をできる相手は少なくなります。
SNSでつながりを求めてしまうのも頷けます。
その中でしょうもない見栄の張り合いをしてしまうのがおじさんなのでしょう。
残念な生き物ですね。エアポートおじさん。
客観的に見る事ができない自分
自分という存在はなかなか客観的に見る事ができません。
百聞は一見にしかずといったりしますが、
百回話を聞いても1回見たら全然違ったなんてことはザラです。
百回説明しても伝わるのはごくごく一部です。
先の例でいうと赤と言っても緑を見てるかもしれないので当然です。
また、自分の経験に照らし合わせて相手の話をイメージするので
僕がとある社長さんの話をしても僕とは違う顔を想像しながら聞いていると思います。
自分が発信している言葉ですら共感が難しいので
自分が見えていない自分の行動を他人にどうみられどう評価されているのか?
人は自分の仕事量を適切に見る事ができません。
- 自分はこんなに頑張ってるのに
- 以前こんなに助けてやったのに
自分の仕事量を過小評価するパターンもあります。
- 何でこんなこともできないの?
自分ができることは誰でもできるという無茶理論。
僕の上司にキャバクラ好きの人がいましたが、
自分が好きなものはみんな好きという持論の人でした。
行きたくないというと癇癪を起します。
何だか似ています。
まとめ
こんな記事を最後まで読むなんて色々思う所があるのでしょう。
わかりますよ。あなたは若い頃の僕によく似ています。
よくこんなクソ記事読みますね。笑
共感という感情
おわり
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