役に立ちたい気持ちと役に立ちたくない気持ちと

勢いで行先ボードアプリを作りました。
僕としてはアプリを作りたい欲求が満たせたので満足です。
しかし、社内に展開してちょこちょこ要望が増えてきました。
後悔しています。なぜ僕が対応しなければならない?

自分で言ってて何を言ってるかわかりません。
勝手につくって、勝手に現場に投入して、活用されたら文句を言う。
僕は何様なのでしょうか。

まぁ、そこは置いておきましょう。
もう少し使われないままで作り続けたかったのですが使われると責任が発生します。
どうしよう・・・。面倒くさい。


僕の性格が面倒くさいのです。
ソフトを作りたいし使ってほしい。
でも使われると面倒くさくなる。
感想を聞きたいけど要望は聞きたくない。
「XXXは良いけど、もうちょっと〇〇〇だったら・・・」
ふつう感想と要望はセットです。後半いらない。
クズの極みですね。

使われないソフトをキラキラのハイスペックにしてほくそ笑むのが僕の目標でしたが
ロースペックの状態で役に立つかを試したい欲が出てしまいました。
お陰で自分で足りないと認識しているところをズバズバついてくる要望が出てきます。
もうヤダヤダ。傷口えぐるのやめて。

う~ん。
誰かの役に立つものって、その存在自体がダメですね。
なぜ、僕が誰かを楽にしたり便利にしたりしなければならないのでしょうか。
そこを言い始めたらたぶん技術者として終わりです。
でも言いたい。

なぜ、僕が誰かの役に立たなければならないのか?
なぜ、ベストを尽くさないのか?
うるさいっ!!上田次郎っ!!本高いわっ!!

役に立って喜ばれるとうれしい。それは間違い無い。
しかしこの矛盾した感情は何?


自由に家でアプリを作ろうと思っていたのに
会社で要望を受けて作ったらそれは業務です。
しかし、自分で不足していると認識している部分なので、
要望として出てこなければ何も悩まずに実装すると思います。

要望として出てしまった今
それは業務なのか?それとも趣味なのか?
悩みは尽きません。

プライベートでゲームに没頭する人がいます。
僕も三国志とファイアーエムブレムはやります。
しかし、会社の命令や誰かに頼まれたのであればそれは業務です。
やりたくなくなる自信ありです。

労働と趣味の差は何なのか?
やってることは同じで何故受けるストレスは違うのか?

こんなことに悩んでる僕は、40歳間際の工場のおじさんです。
お恥ずかしい限りです。


しょーもないことを書き散らかしました。
「誰かの役に立ちたい」と「誰の役にも立ちたくない」。
一時的に僅差で「役に立ちたくない」気持ちが勝ったので書きました。
こんなくだらない記事にお時間を頂きましてありがとうございます。

今日からまた人のお役に立てるよう精進していきます。
いや、次は役にも立たないソフトを目指すか。。。

役に立ちたい気持ちと役に立ちたくない気持ちと

おわり

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