プログラマーがIT企業以外へ転職するということ

プログラマーとしてサラリーマン人生を送ってきましたが
製造業に入社して大きく変わった考え方が3つあります。

①仕事の考え方
②ソフトウェアの考え方
③人生の考え方

私事で申し訳ありませんが、ご参考まで。

現在の環境

僕は去年の8月に転職しました。
それまで首都圏のIT企業に勤めていましたが、色々嫌になって現在は田舎の工場勤務です。
従業員の規模は100人→1000人となり給料は若干減ったものの世間的には優良企業で定年後も安泰の見込みです。
若干減った給料も後数年働けば、前の会社では何年働いても辿り着けない給料になるのでしょう。
一人も定年退職までいられた人がいない企業から、毎月誰かが退職していく現在の職場への転職。
今月の退職者は再雇用の道を選ぶようです。来月からは時短勤務です。

話しは少し変わりますが、製造現場を束ねる現場リーダーの苦労は絶えません。
リーダーは働くママさんの不安定な勤務時間の穴と外国人労働者の成果物を品質を補うため腐心します。
また、障がい者の労働者も多く心や体にハンディキャップを抱えている人の制約条件も考慮にいれなければなりません。
更に設備のトラブルは毎日のように起こります。設計変更や割り込み生産の頻度も中々です。
ではどうしているのか。
そんなの根性論です。

僕のお給料はそんな彼らが安い賃金で稼いでくれています。

一方僕は怪我もしない安全な場所で、大量のお金を使って毎日餅の絵を描いています。
ここをシステム化すれば××の工数削減だとか、このシステムを導入すればポカヨケになり品質アップだとか。
ぶっちゃけ一円も稼いでいません。恐縮です。

大きく変わった考え方

先ほど大きく変わった考え方が3つあると申し上げました。

①仕事の考え方
②ソフトウェアの考え方
③人生の考え方

これまで納期に追い回され罵声を浴びせられ体を壊しながら稼げない人達の給料を必死で稼ぐ立場でした。
「僕が一体何人分の売り上げをあげていると思っているんだ」なんて考えていたこともありました。
不遜ですね。

繰り返しになりますが、誰が何と言おうと今の僕は一円も稼いでいません。
システム導入していくら儲かったかなんて検証しようもありませんしね。
言ったもん勝ちです。

大した大学でもないのに大卒の資格だけで、体を壊しながらお金を稼いでくれる高卒を見下す立場にいます。
大したシステムですね。中世ヨーロッパの奴隷制度と大差ありません。
身分か学歴か。違いは努力で何とかなる点位ですかね。
製造現場でいくら突出していても今年入ってきた大卒の上に高卒の人が立つことはありません。

そういえば前の会社は大卒だけで構成されていました。
身分制度がないのが小さい会社の理由でしょうか。
人間の残酷性がうかがえます。

ま、能書きはこの辺にして本題に入ります。
大きく変わった考え方について個別にご説明します。

①仕事の考え方

お金は他人が稼ぐもの。

自分で稼ぐというのは自分の限界までしか稼げないということだと感じています。
これは今までソフトウェア開発のマネジメントをしてきて感じていたことに合致します。
僕が手を動かして無理やり色んなプロジェクトを完成させてきました。

何人使ったところで納期・コスト・品質のどれをとっても僕一人でできる範囲を超えるものは一切出来上がりません。
少し言い過ぎました。納期は多少縮まります。

今、僕は3人のメンバーを使っていくつかのプロジェクトをマネジメントしています。
納期と予算に余裕がある為「作る」以外の選択肢も十分に検討でき、今まで以上に新しいことに挑戦できます。
以前の会社ではプロジェクトが終われば解散だったのですが、今はメンバー固定。
お陰様でゆっくり育てていこうという気になります。
ある程度の範囲で各メンバーに責任と権限を持たせ僕はゴールを決めるだけに徹しています。
これまでと違いそれぞれが自ら課題意識をもって様々なブレイクスルーを果たしてくれます。
優秀なメンバーが揃ったと感じており初期メンバーとしては贅沢な面々だと思います。
今後何か新しいものが生まれるんじゃないかとワクワクしています。

とはいえ、出来上がったものが製造の役に立つかは保証しかねますが。

で、僕がメンバーを使って作ったものを製造が使ってものづくりをして稼ぐ。
お金を稼ぐところまで「僕→メンバー→製造現場」の三段階。
リスクの無い無責任な立場ですね。

患者一人一人と接し風邪を治す町医者が良いのか、論文で多くの難病患者をを救う医学者が良いのかみたいな話です。
論文がクソの役に立たなくても誰も傷つきませんが、町医者が病気を悪化させたらエライことです。

ま、僕はそこまで偉くはありませんが。

②ソフトウェアの考え方

作ってはダメ。
これまで使い方を覚えるくらいなら自分で作った方が早いと考えていました。
だって納期があるわけですから。

しかし作るという行為は最も時間のかかる行為です。
しかも作った後が問題で、作ったものが使われている限りそのお守が永続的に必要になります。
作れば作るほどそれは発生していき最後にはお守だけでいっぱいいっぱいになります。
そんな状態で新しいものが生み出せるかと言ったら不可能です。

お守工数の一つ一つは小さいですが、確実にかさんでいきます。

しかし作らなければお守を人に任せることができます。
使い方を覚えさせれば誰だって僕と同じ立場です。

僕はプログラマーとして本当に終わってしまったのかもしれません。
やぶさかではありませんが。

では、どうすれば良いかというと完成品同士の組み合わせを考えることに注力します。
合理的な構成を考えることができれば大抵のことはこの世に存在するもので何とかなります。
どうしても「作る」という楽な方に流れがちですが、今の僕は「作る」行為は最終手段と捉えています。
作る時間も無駄ですし、お守する時間も無駄です。
だって納期も自由ですしお金もあるのですから。

そのお金も他人が必死で稼いだお金と言う・・・ね。
税金ってこんな感じなのでしょうか。

良い物は地獄からしか生まれないと思っていましたが、良い物はゆとりから生まれるのかもしれません。

③人生の考え方

今、納期から解放されました。
お金を稼ぐことからも解放されています。
クビになる不安からも解放されました。
老後の生活もある程度保証されている状態です。
おそらく会社がつぶれることも無いでしょう。

人生ってもっと不安定なものだと思っていました。
いつ潰れるかわからない会社でいつクビにされるかわからない状態。
老後もどうなるかわからない状態で納品すらできるかどうかわからない状態。
常に一寸先は闇で今週の休みですら取れるかどうかという・・・。

これからは、長生きしてどれだけ会社や国に寄生できるかですね。

・・・。

僕は、ひりひりするストレスがどうも好きみたいです。
人生の考え方はあまり変わっていないのかもしれません。
ただ、今の生き方の方が正しいことはわかっています。
これまでこういった生活があることすら知らなかった。

今は知った上で人生の選択ができます。

まとめ

僕は運よく良い会社に入れたと感じています。
しかし身を粉にして働いていた立場から一転、能書き垂れるだけで一円も稼がない立場になりました。
僕の今の仕事は自己満足を追求するだけのものです。

恐縮です。

おわり

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